日本で一番「親切な会社」をつくる その5
平成7年(1995年)東京中小企業家同友会に入会したのがきっかけで
根岸社長は「経営指針書」を作成することを始めました。
こういう「きっかけ」は大事ですね。
周りの経営者見て「これではダメだ。」と悟ったようです。
根岸社長は、ここから本格的に経営の勉強を始めます。
この年代の時代背景分かりますか。
平成3年(1991年)のバブル崩壊後、銀行の貸出が
非常にきつくなってきたのですね。
担保主義からキャッシュフロー主義への転換もあります。
飲食店業界は、これを目の当たりに受けるのですね。
きっと根岸社長も資金繰りで苦しまれたのでしょう。
飲食業特有の、「場当たり的経営」ではやはりダメなのですね。
たぶん、「藁をもすがる思い」でこういう会に入会されたのだと
思います。
この「事業計画書」の毎年の提出によって、銀行の信頼を勝ち取ることが
できたのです。
その大きな力となったのが、平成13年(2001年)のBSE問題の時。
多くの焼肉屋、ステーキ屋が大打撃を受けましたね。
締める店も非常に多かった・・・。
確かに、ねぎしも大打撃です。客足は減少、売上は半減。
しかし、この時銀行は、
「応援しますよ。」
と手を差し伸べてくれたというのです。
「半沢直樹」みたいな立派なバンカーが担当者だったのでしょうか。
でもやはり、経営を前向きにとらえ、毎年「事業計画書」を
出し続けていたからこそなのですね・・・
いい話です・・・。
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