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2015年6月11日 (木)

ドキュメント パナソニック人事抗争史 その9

その絶対的な権力者、正治氏が取締役相談役名誉会長の職を辞したのが
2012年(平成24年)6月。
正治氏は99歳という長寿で亡くなられるほんの1月前。

パナソニックに生まれ変わっても、取締役という「現役」に留まったのです。
逆に言うと、最後まで会社は正治氏を辞任させられなかったのですね。

つまり、幸之助氏の「遺言」は守られなかったのです。
筆者は、これこそがパナソニック低迷の原因であると・・・。


しかし正治氏の野望も最後まで果たせませんでした。
つまり、息子正幸氏は残念ながら社長にはならなかったのですね。

2000年(平成12年)に55歳の若さで副社長から
副会長に「降格」させられ、社長への道は完全に閉ざされてしまったのです・・・。


それは何故か?
結局は「世襲批判」ということなのですが、
この本には書いていないですが私も独自に研究しました。
しかし、松下家を勉強すると「中小企業」の実態が見えてきますね・・・。


ズバリ、「松下興産の破たん」がその理由です。

松下興産とは幸之助氏が作った松下家の資産管理会社です。
資産管理会社とは、オーナーが所有する株式や不動産を会社に移して
いわゆる「節税」のために設立されるものです。

その話をしたら長くなるので、今度にしますが、
幸之助氏の遺産が2449億円もあったのにその相続税額が、わずか854億円しか
なかったのは多分この節税効果ではないかと思っています・・・
(そのお話はいずれ)


昭和の頃、証券会社では
「持ち株会社を作って節税しよう!」
というのが流行りましたから。
私も野村證券の新入社員研修で勉強したのを今でも覚えています・・・。


幸之助氏は株式投資が大好きだったことは有名なお話ですね。
その「趣味が高じて」ナショナル証券を作ったくらいですから。
たぶん資産管理が大好きだったことは間違いありません・・・。

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