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2015年6月 5日 (金)

ドキュメント パナソニック人事抗争史 その6

松下電器の事業承継は、どこの中小企業でもある相続問題と同じで
非常に参考になりますね。

2代目正治氏が社長になったのが、49歳、1961年(昭和36年)
その後17年間も、65歳になるまで社長を続けました。


ただ、すでに書きましたように、幸之助氏は正治氏の社長としての力量を
見切っていたため、実際は会社の重要な決済はさせなかったようです。


ただ時代背景は良かったのですね。
東京オリンピック景気や昭和40年代のいざなぎ景気。
白物家電はほっておいても売れたのですね。
1970年(昭和45年)の万博まで続きます。


本題とそれてしかも古いお話で恐縮ですが、
万博の松下館は2時間以上並んで見ましたね。


幸之助会長・正治社長の体制は変わらないのですが、
どうもこの二人の仲はあまり良くなかったと思います。
小学校中退の丁稚奉公あがりと、東京帝国大学卒の銀行マンでは
合う訳ないでしょうね。


幸之助氏の本は何冊も読みましたが、以前取り上げた
「志のみ持参」
など幸之助氏の考え方を学ぶ貴重な本でしたからね。こちら


幸之助氏の経営学の一つに「トイレ掃除」がありましたね。
帝国大学卒の方には「トイレ掃除」など経営学では
絶対ありえなかったはずですから・・・。

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