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2015年6月 2日 (火)

ドキュメント パナソニック人事抗争史 その3

経営の神様は、二代目の経営者としての力量を
早くから見切っていました。

でもここは大事なところですが、どうしても首を切れなかったのですね。

東京帝国大学卒業の学歴と三井銀行のキャリアまで捨てて
ベンチャー企業に婿入りしてくれたのですからね。

でもこの二代目の首を切れなかったことが、その後の松下電器の
低迷を招いたと筆者は断言しています。


松下幸之助氏のものすごい「遺言」が伝えられています。
これは正直衝撃でした。
松下三代目の社長は山下氏なのですが、
1980年(昭和55年)に当時の山下社長に幸之助氏は
こう言っています。


「ポケットマネーで50億円用意するから、
これを正治さんに渡し、引退させたうえ、
以後経営にはいっさい口出ししないように
約束させてくれ。」

すごいですね。50億円もです。
でも正治氏には50億円くらいなら「はした金」だったのでしょう。


それはどうしてでしょうか。
何故なら、1980年の松下電器は、業界初の売上高2兆円の大台を超え、
経常利益1385億円の過去最高益を記録していたからです。


しかも、幸之助氏は私財70億円をも投じて「松下政経塾」を
開塾していた頃です。
ただ私に言わせたら、50億どころか500億円渡しても
絶対に引退させるべきだったでしょう。


それは何故か。
「誰も言わない」税理士らしい「突込み」を
これから真面目に入れていきます・・・

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