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2015年6月12日 (金)

ドキュメント パナソニック人事抗争史 その10

松下興産の社長は幸之助氏が1983年(昭和58年)まで
ずっと勤めていました。

そのあと社長になったのは、正治氏の娘婿の関根恒夫氏。
この方は埼玉の建設会社のご子息で、就任直後から、
松下興産を「リゾート開発会社」に変革していきます。
有名なお話ですが、あの北海道夕張市へも幸之助のご威光を使って、
リゾート開発を進めたのですね。

でもお分かりの通りバブル崩壊。
2000年(平成12年)には7700億円もの有利子負債。
1400億円もの債務超過。
松下電器自体が傾きかねない多大な損失です。


この会社を助けるため、松下電器本体だけでなく、
松下家も資金拠出します。
そのため幸之助氏の遺産であった松下電器の多額の株式を
売却したと言われます。


結局これが原因で孫の正幸氏(つまり関根氏の義弟)は
松下電器の社長になれなかったのですね。


こうして考えると、松下幸之助氏が一代で築き上げた巨万の富を、
2代に渡る「娘婿」がほとんど食いつぶしてしまったと
いうことになるのでしょうか・・・。

よく

「相続が三代続くと財産は無くなる」

と言われますね。
幸之助氏のこの巨額の相続が例に上げられることもあります。

でも本当は違うのではないでしょうか。
昭和を代表する偉大な企業家の作り上げた財産を、
結局その後継者2代が浪費してしまったということなのですから・・・。

どうですか?

大企業のお話でもあるのですが、
多くの中小企業経営者の方に読んでいただきたいと
私が申し上げた理由がお分かりになりましたか?

(がんばれ!パナソニックシリーズ おしまい)

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