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2015年5月22日 (金)

しんがり 山一證券最後の12人 その7

いよいよ山一破たんのクライマックスですね。

ただちょっと驚いたのは

「1990年(平成2年)の時点では山一はもう破滅的状態だったのである。」

この記述ですね。

1989年(平成元年)12月にあの歴史的な高値38,915円をつけ、
バブル景気の絶頂を迎えているのですね。
しかもその翌年の90年(平成2年)3月期の山一の経常利益は、
なんと2336億円と、史上最高決算を迎えているのです。


でもご紹介した「営業特金」はその時点で1兆9000億円もありました。
ただ、そのうち含み損が90年(平成2年)2月時点で1400億円も・・・。
これだけ相場が回復してもまだ含み損があったということは、
かなり前から回復見込みのないファンドが
巨額にあったというこなのでしょう。

この1兆9000億円もの資金は違法行為である利益保証までして集めた資金。
それからバブル崩壊を迎えます。
当然事業会社側からは約束の履行を迫っていき、
その時限爆弾がつぎつぎに破裂していきます。


ここで問題となる利益補てん。
一番有名になったのは東急百貨店の損失補てん。
でもこれは氷山の一角だったようです。
結局、顧客側がどうしても引き取らない損失が1,200億円。


それでどうしたか?
「やむなく山一のペーパーカンパニーに沈める」
そう時の経営者はそう判断したのです。
つまり、暴落した株を高値で買い取る「損失補てん」
しかも、これは過大な粉飾ともなります・・・。


非常になまめかしいやり取りなのですが、
法令違反はもとより、経営者の明らかな判断ミスです。


ただ相場の回復を期待したということだけなのですが。
相場の怖さを思い知ることになります・・・。

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