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2015年5月20日 (水)

しんがり 山一證券最後の12人 その5

「ノルマ営業」という言葉が出ていました。
まさに古き証券会社の体質そのものですね。
現在でも営業主体の会社では、
「ノルマ」は存在するものかもしれませんが・・・。


私がかつていた野村證券はよく「ノルマ證券」と揶揄されていました。
今だから言う話ですが、(これナイショかな・・・)
1日のコミッション(株の売買手数料のこと)が100万円。
投資信託月5000万円が「一人前の営業マン」の最低限のノルマでしたね。
今ではそんなノルマはもうなくなったとは思いますが・・・。

本当に投資信託を毎月売るのが大変でした。
ですから投資信託を売却して、別の投資信託を
買わせることはよくありました。(今はいけないらしい・・・)


この本を読むと山一証券もまさにそうだったらしいですね。
(野村証券がそうだったとは一応言えませんが・・・)


実は昭和の時代の証券会社は「株屋」と呼ばれたヤクザな証券体質が
色濃く残っていたからです。


「パンパンとびんたを張る音が支店で聞こえたものだ。
成績の上がらない部下を叩いている。」

「証券知識の乏しい個人顧客に株や投資信託を売りつけ、売買を繰り返して
手数料を稼ごうとするのものが現れる。」


しかし、そのしんがりの部隊の副隊長の菊野氏は
それがイヤで仕方がなかったらしいです。

もう実にいい人ですね。
菊野氏の自慢は
「自分の下で仕事が辛くて辞めた部下は一人もいない。」
ということ。

そういう人は絶対出世しません。
菊野氏は支店長までは同期の誰よりも早くなったものの、
出世レースで抜かれてしまいます。
結局最後は山一證券の「場末」に追いやられてしまいます。


サラリーマンの矜持感じませんか・・・。

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