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2015年5月15日 (金)

しんがり 山一證券最後の12人 その4

ではその「古い証券体質」について熱く語ってみましょうか。
今はもうなくなってしまった昭和の時代のお話ですが・・・。


「支店の仕切り販売」が出ていました。
一般の方は絶対知らない単語ですよね。

通常、証券会社の仕事というのは、顧客が「○○の銘柄を△株買いたい」
というのを市場に取り次ぐことです。

でも昭和の時代は、お客さんの注文が来る前に
あらかじめ買うことができました。
要するに、証券会社の自己ポジションで先に買っておくのですね。
あとから、お客さんの名前に変えることが当時は許されていました。

今では違法行為となっていますが、当時証券会社では「日常茶飯」な
光景だったのですね。50歳以上の証券マンなら誰でも知っているお話です。


例えば、上がりそうな株の時価が1000円だったら、
「1000円で1万株」のように注文が出せたのです。
予想通り、1000円が1100円になれば、

「1100円の株が1000円で買えます!」

強烈なセールストークですよね。
すぐ売っても大儲けです。

相場の変動をうまく当てれば、「仕切り売買」というのは
成績を上げる究極の方法でした。

でも相場ですから逆もあります。
1000円が900円になっても
お客さんに1000円で買ってもらわなけれならない・・・。
証券マンの仕事の何がキツイかというと、まさにこういう仕事。
お客さんにソンさせると分かっていながら、絶対売らなければならない。

しかも相場が終わる15時までに何としても注文取らないと
新聞に株価900円と出てしまいます・・・。


でも昭和の時代は、インターネットもなく株式の時価は
誰も分かりません。翌朝の新聞を見ない限り分からないのです。
でもこれが証券トラブルの要因にもなりました・・・。
(艶めかしいのでこれ以上書けません。)


嘉本常務は若いころにこの「仕切り販売」に支店で
反対したことがあったそうです。
それでどうなったか?
支店長からにらまれ当然左遷です。


これが証券会社の常識だったのです。
非常識な常識がまかり通る世界。

こういうことが破たんの遠因ではなかったかと本当に思います・・・。

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