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2014年4月 3日 (木)

福島屋 毎日通いたくなるスーパーの秘密 その2

ではまず福島屋の福島徹社長のご紹介から。
私が経営者本で必ずチェックすのは、その方の生い立ちでしたね。

1951年東京青梅生まれ。現在62歳。
昨日つい「羽村なんて知らない」などど
筆を滑らせてしまいましたが、(誠にすいません)
羽村市というのは青梅市の隣なのですね。
「青梅マラソン」で2度も訪れた、JR青梅線に「羽村」という駅が
有りましたね。
あと『フロストバイトマラソン』で有名な横田基地もそばでした・・・。
ただ東京のずっとずっと郊外であることには、間違いありません・・・。


実家は材木業をその青梅で営んでいたのですが、
倒産し非常に貧しい少年時代を過ごしたそうです。
高校生の時に、その羽村に引っ越して来て、
両親はわずか8坪ほどの小さな「よろず屋」を
始めます。
病弱な父親を支えるために、大学時代も家業を手伝い
卒業と同時にそのよろず屋を引き継ぎます。

もうここだけで、普通の創業社長と違いますね。
そういう幼少からの「たたき上げの土壌」のある経営者なのです。

わずか22歳ながら経営者となり、その才覚をすぐ現します。
まず酒類販売の免許を取り、酒屋を営みます。

当時の羽村は近隣に団地の建設ラッシュ。
そこに御用聞きに出かけ売り上げを伸ばします。

さらに、そのころ黎明期でもあった
「コンビニエンスストア」を始めるのですね。
でもここで、絶対私しか突っ込まないのでしょうけど、
わずか3年半でコンビニを辞めてしまいます。

どうしてでしょうか?
理由は、「自分の考えや裁量で自由に仕入れさせてくれないから。」
これはすぐ納得しましたね。
以前のローソン研究で詳しく勉強しましたから。こちら
コンビニというのはまさに本部主導ですから。

ここに「福島屋のオリジナリティを重視する原点」があるのでしょう。

しかし3年半でコンビニを辞めるとなると、
それなりの違約金など必要だったと思いますが、
当時の社長はまだ30そこそこの若手経営者。
「イケイケどんどん」だったらしいです。
しかも、そこで青果店からスーパーに業態転換して
さらに発展します。

なんと税務署管内で売上トップになったくらいだそうです・・・。

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