「奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり」その1
私の好きな「経営者本」のご紹介。
特に注目したいのは中小企業経営者であることですね。
よくこれは書きますが、京セラだのユニクロだのと大企業の「成功した後の」
お話はどうも参考にならないのですね。
中小企業がどうやって成功したか?やはりそれを知りたいのです。
でもそういう中小企業の本は少ないのですね。
著者は、中川政七商店のなんと13代目の中川淳社長。
中川政七商店はご存知ないでしょうか。
この社名から、いかにも「古そうな」(失礼!)感じがしませんか?
創業は1716年(享保年間)
享保というと、江戸時代8代将軍徳川吉宗が「享保の改革」を
行ったことを昔歴史で習いましたね。
テレビ的にいうと、「大岡越前」「遠山の金さん」のあの時代です。
1716年だから、もうじき300年にもなる超老舗企業。
その13代当主ですね。
それで何をやっている会社かというと、
初代の中屋喜兵衛氏が奈良晒(ならざらし)という高級麻織物の
問屋業を起こしたことから始まり、
以来ずっと麻織物の問屋さんなのです。
奈良晒(ならざらし)というくらいですから、
場所は奈良なのですね。
奈良の超老舗企業といったらお分かりになっていただけるでしょう。
ただ正直書くと、社歴は相当古いものの、数年前(正確にいうと2002年以前)は
「社長が父ちゃん、専務が母ちゃん」で売上数億のまさに中小零細企業。
2002年。
息子であった中川淳氏が入社します。
この中川淳氏は13代目として生まれ育ったものの、
奈良県下の有名な進学校を卒業して京都大学法学部に入学。
一時は司法試験を目指します。
このあたり、まったく家業を継ぐ気などなかったのでしょう。
ところが、弁護士になる道をあきらめ、富士通にいったん入社します。
しかし、たった2年間でサラリーマン稼業にも嫌気がさし退職。
家業を継ぐ意志を伝えたところ、
「業界の先行きを明るくない中小企業だからダメ」
と断られたのですね。
それを何とか頼み込んで入社したのです。
それくらいの地方の中小零細企業が、たった数年で、
まさに「表参道ヒルズに店を出す」までになったのです。
どうして成功したのでしょうか?
本当に、身近な参考になるお話です・・・。
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