破綻―「バイオ企業・林原の真実」林原靖著 その3
メインバンクであったはずの住友信託が融資残を減らし
徐々にフェードアウトしているうちに、自然とメインバンクになったのは
中国銀行。
当然地元の地銀として付き合いは長いです。
三代目林原一郎と「中銀・中興の祖」と言われる守分十頭取(当時)との
親密な関係から始まっています。
戦後の苦難の時期を共に乗り越え、共に成長期を歩んできた長い歴史が
あるのですね。
その結果として、中国銀行の株を何と12%も所有する筆頭株主なのです。
しかも関連会社も含めると、株主上位10位に3社も入るほどの影響力。
中国銀行としては「林原さまさま」だったのでしょう・・・。
バブル期に研究開発費以外にも、不動産投資の借り入れが膨らみます。
バブルのピークにはなんと1600億円もの借入残です。
新宿の歌舞伎町に林原ビルを建てたのはまさにバブル絶頂期の92年。
林原はそのバブルの後遺症で悩むのですね。
ご紹介したように住友信託の態度が一気に変わってきます。
その中国銀行の借入残も400億を超えてきます・・・。
いくら「親会社」のためとはいえ、一グループへの融資枠としては
大きすぎたのではないでしょうか。
これも憶測ですが、「金融庁検査」で引っかかったのでしょう・・・。
でもこの著者の靖氏にはいつもこういっていたそうです。
「国債の暴落とか為替の急変など金融危機がおきて融資残のメイン寄せ
(これは下位行が融資を減らし、その分をメインがかぶること)
が一番怖いですが、林原への姿勢は変わりません。他行にはきっちり
話をつけます」
こうたくましい発言をしていたのでしたが・・・。
リーマンショックが起きて、さらに事態は悪くなったようです。
ここで大事なお話なのですが、
林原という会社は「非公開会社」なのですね。
つまり、これだけ大きくなっても上場をしようとはしなかったのです。
どうしてなんでしょうか?
林原健社長が、
「上場すると自由な基礎研究ができなくなる・・・。」
そういう信念だったようですが、それが間違いではなかったのでは
なかったのではないでしょうか・・・。
非公開会社で1300億円の借入残は、
あまりにも大きすぎたのですね。
厳しい経営環境下、さらにここで大問題がおきます。
「粉飾」の発覚です・・・。
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