破綻―「バイオ企業・林原の真実」林原靖著 その1
半沢直樹の胸のすくような「100倍返し」のあとは
現実のお話。
「やられて・・さらに100倍やられた?」お話。
「林原」という企業ご存知でしょうか。
岡山市に本社を置く、バイオでは超有名な企業でした。
ずいぶん前になりますが(2002年)私の履歴書で
林原健社長(当時)が取り上げられましたし、つい最近でも
「カンブリア宮殿」にも出ていましたね。
林原とは岡山市で創業130年にもなる、もともとは「水あめ製造」の
会社です。
その三代目、林原一郎氏が実質的に一代で林原グループを
全国規模の大会社に育て上げたのです。
戦後何もない時代に、「カバヤキャラメル」を製造して大ヒット。
さらに食品以外にも、ホテル、製紙、運輸、印刷、観光、不動産など
一大コンチェルンを作りあげたのですね。
ところが、その超やり手の三代目の一郎氏が52歳の若さで急死。
その後継ぎとして、若干19歳の林原健氏。慶応在学中ながら
社長になります。
相続財産を争って林原家は醜い相続争い。
親族にカバヤキャラメルは持ってかれるなど、従業員は半減。
でもその健新社長は、数年後に
「デンプンを100%麦芽糖に変える世界初の技術開発に成功」
つまり、これが「マルトース」
ここから林原はバイオ企業に変身するのですね。
そこから、さらに「プルラン」という薬のカプセルに使われる
「食べられるプラスティック」の開発も成功します。
さらに「世界の林原」として有名にさせたのは「インターフェロン」
これはちょうど私が大学卒業(1984年)し証券会社に入社した頃。
当時、その共同開発した「持田製薬」の株を勧めたことを思い出しました・・。
(もう時効だからいいですか・・・)
あの頃、林原、大塚製薬、持田製薬で「ガンを撲滅する夢の新薬」
林原法という「ヒト細胞インビボ増殖法」というのを開発したのでした・・・。
このあたりまでの林原健社長の経営手腕は見事だったのですが
どこから変わってしまったのでしょうか・・・。
なぜ破たんしてしまったのでしょうか。
メインバンクに「半沢直樹」がいてくれたら・・・。
ちょうど、半沢直樹に出てくる「伊勢志摩ホテル」がこのモデルでは
なかったのか・・・。
そう思ってしまうのですね。
ただドラマとは100倍違って、結末はあまりにも悲惨です。
「やられて・・さらに100倍返しをされたお話・・・」
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