落ちこぼれでも成功できる(ニトリの経営戦記) その10
平成元年に札幌市場に上場したニトリは、その調達資金で
家具メーカーを買収します。
あのユニクロと同じ戦略、製造小売業(SPA)への進出です。
でも、当初うまくいかなかったのですね。
破たんした家具メーカーが「高級家具路線」を志向していたからです。
赤字額がさらに膨らみ(16億円!)ピンチに。
ついには日本での生産をあきらめ、インドネシアに進出。
ここも当初うまくいかなく、さらに追加資金(5億円)!
現在では海外での生産の割合が8割にもなるニトリですが、
当初は、海外生産はそう簡単ではなかったようです。
さらに追い打ちをかけるような事件が勃発。
平成9年11月15日、あの北海道拓殖銀行が破たんしたのですね。
ご存知の通り、拓銀の破たんにより、北海道経済はめちゃめちゃに
なりましたからね。
国は、りそな銀行を救済したものの、拓銀を見捨てたのですから・・。
さらにその9日後、あの山一證券が自主廃業を決めました。
この本で知ったのですが、その前の年に、拓銀と山一が
保証する転換社債50億円を発行していたのです。
実は、この時、ニトリは連鎖倒産してもおかしくなかったのです・・。
この危機を何とか乗り越えたニトリは
平成14年5月に東京証券取引所に上場します。
その後の10年でニトリは急拡大していきました。
詳しくはこの本をお読みください。
その「自慢話」はいくらでも記載されています・・・。
最後にまとめます。
似鳥社長が「落ちこぼれでもなぜ成功したか?」
私なりに気が付いたのですが、
あのエステーの会長さんがおっしゃっている言葉ですね。こちら
「運、感、度胸」
これにつきますね・・・・。
ニトリが来るべき平成26年2月期決算で
「27年連続増収増益」を達成できるかどうか・・・。
この円安と消費税増税をにらみ、
どんな戦略を打ってくるのでしょうか・・・。
でもあの似鳥社長なら、この大記録を継続していきそうな気が
しています。
やはり
「お値段以上! 似鳥社長!!」
(がんばれ!ニトリ・シリーズ おしまい)
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