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2013年8月29日 (木)

落ちこぼれでも成功できる(ニトリの経営戦記) その9

半澤直樹に熱くなっていましたが、まだまだニトリも続きます。
ニトリで言いたいことはたくさんありますから。

創業から18年、昭和60年に、ようやくニトリは海外に目を向けます。
昭和60年(1985年)というとどんな年か分かりますか?

あのプラザ合意があった年ですね。
1ドル250円だった円相場が一気に120円台に向かったのですね。
当然経営者の誰もが
「これは製品が安く買えるチャンスだ!」
と思ったのです。

すぐさま似鳥社長は、東南アジアの家具メーカーに
アポイントを取りまくります。
このあたり、「猪突猛進」の社長さんですね。
まだ41歳、この行動力ですね。
輸入のノウハウが全くないのに、どんどん輸入家具を増やします。

でもそう世の中甘くないのですね。
なんと、クレームの嵐です。
東南アジアは高温多湿なので、木材製品の含水率が
20%前後と日本の12%と比べて高いのですね。
そんな製品を湿度の低い北海道で使用すると、水分が抜けて
結局はヒビが入ってしまうのです。
水分を完走させてから輸入させればよいのですが、
現地には乾燥機械そのものもなかったそうです。
もう返品の山・・・。
輸入ビジネスはそう簡単ではないのです・・・。


昭和62年、ニトリの売上は103億円、まだまだ中堅企業の
カテゴリーですが利益は4億1000万あったそうです。
これをベースとして平成元年9月、札幌証券取引所に上場します。

「100店舗、売上1000億を目指す企業が
どうして東証ではなくて、札幌証券取引所に上場するのだ!」

そう突っ込みたくなりますが、まだこの時、似鳥社長は
自信がなかったようです。
「北海道を制覇する」
そう思っていたようですが、結局は北海道の閉鎖的な社会に
なじまなかったようですね。

北海道の財界人となるには、まず学歴が物を言うのだそうです。
つまり北海道大学出身でなければダメということです。
ここは、失礼ながら「落ちこぼれの」厳しい現実です・・・。

結局、北海道になじめず、本州に向かいます。
初めて本州、それも千葉県に出店したのが平成3年。

でもその時はまさにバブルのピーク。
でもここで感心したのは、土地代が高すぎてダメだと思ったら
すぐ撤退したことなのですね。
賠償金を数億払っても撤退しているのです。

結局本格的な本州進出は平成5年。
今度は茨城県ひたちなか市。東京からかなり離れたところから
スタートしました。
これも自信がなかったことの現れですね。

当然ですが、その頃関東の人は、「ニトリ」何て誰も知らない。
地主からも土地を貸すことさえ嫌がられたそうです。


「イチとり、ニトリ、命トリ・・・
そんな聞いたことない会社には絶対貸さない」と・・・。

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