落ちこぼれでも成功できる(ニトリの経営戦記) その6
似鳥社長に「ベンチャー・スピリッツ」を本当に感じますね。
この時まだまだ30代前半。若くて怖いもの知らずです。
「業界の掟」に果敢に挑んでいきます。
北海道は木材の産地ですね。そうなると家具メーカーが多いことは
容易に想像できますからね。
その家具メーカーに「問屋をすっ飛ばして」直接取引しようとします。
昨日の例でいえば、問屋から6000円でしか仕入れられなかったテーブルを
「3000円で卸してくれ」と、メーカーに直接行くことなのですね。
でもまさに「掟破り」
北海道は雪が多く特に1月、2月は、家具メーカーはその在庫品に
悩むのですね。輸送も保管のコストもばかにならないですから。
そこで、「現金取引で」その家具メーカーから直接取引したのです。
最初は、問屋に内緒でメーカーも取引していたのですが
いずれバレます。
問屋から激怒されたニトリは、ついに問屋から「取引停止」になるのですね。
これから、業界との戦いは延々20年も続くことになります。
北海道のメーカーと取引できなくなったニトリは
本州に渡り、新潟県、群馬県、静岡県としだいに南下していきます。
行くたびに「業界の掟破り」ということで、問屋を怒らせていくのですからね。
ついには本州もあきらめ、九州に渡ります。
福岡県大川市が、日本一の家具、建具の生産高を誇る家具の聖地で
あることをご存知ですか?
「さざんかの宿」のヒット曲で知られる歌手の大川栄策。
名前の通り、福岡県の大川市出身なのですね。
昔、テレビでよく特技の「タンス担ぎ」をしていましたね。
ついにニトリは、この大川市のメーカーとの取引をすることになったのです。
本当に、大川市の家具は質も良く、低価格だからなのですね。
九州から北海道までの物流コストはバカにならないと思うでしょうけど、
その分、問屋への支払いがないので十分採算があうのですね。
さらに九州からの供給体制も、ある物流センターの運送会社に
集約させ供給体制も確立していきます。
まさに、業界との戦いの上作り上げた「家具業界の画期的新体制」。
もちろん、ニトリが最初です。
実は現在も、ニトリの家具は大川市で作られたものが大半なのだそうです。
だから、似鳥社長の「オハコ」は間違いなく、
「さざんかの宿」でしょうね・・・!?
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