落ちこぼれでも成功できる(ニトリの経営戦記) その4
ニトリのお話はまだまだ続きます。
ニトリを通じて何を言いたいのか先にアップしておきましょう。
「落ちこぼれでも、どうして成功したか」これを学んでいただきたいから
なのですね。
経営者本をこれまで永年にわたり、ご紹介してきました。
成功する経営者は必ずこの三点をクリアしているのでしたね。
私が結構しつこく言う「MMT理論」
M=Mother(母)
M=Meet(出会い)
T=Take The Chance(チャンスを掴む)
この三点が大事なのでしたね。詳しくは こちら
この理論に基づいて、この似鳥昭男氏を検証してみましょうか。
M=Mother(母)
M=Meet(出会い)
これは、もうご紹介しましたね。
お母様も立派な経営者でした。
M=Meet(出会い)は冒頭ご紹介した渥美俊一氏に
33歳で出会い、生涯の良きアドバイザーとなり、さらには
ニトリ発展の最大の立役者となったのでした。
でも、ここで申し上げたいのは、T=Take The Chance(チャンスを掴む)
ですね。
ニトリ発展でどの段階でチャンスだったのか・・・。
これが難しいのですね。
ニトリはチャンスをものにし、急激に発展したのでは
なさそうなのです。
実は「ピンチ」の連続だったのではないかと思うのです。
でもそのピンチをチャンスに変えて、乗り越えてきたのですね。
この点をぜひ学んでいただきたいのです。
私独自の「ニトリ論」かもしれませんが、これは感じますね。
23歳で開業し、内助の功で発展し、創業からわずか4年で
2店目を出し、「郊外店の先駆け」ということで
売上数億、青年実業家として成功してしまったのですね。
でもこの段階で確固たる経営理念があったとは思えないのです。
開業5年目の28歳。毎晩ススキノで飲み明かしていたそうです。
内緒ですが、愛人までいたそうです。
この頃初めて税務調査が入ります。ただその時まで無申告!
これは税理士として敢えて指摘しておきましょう。
申し訳ないですが、「チャランぽらんな」経営だったのですね。
でもここで、「ピンチ」が急に訪れます。
競合店が似鳥家具の繁盛ぶりを聞いて、近くに5倍の広さで
出店してきます。
やはり経営はそう簡単ではないのです。
客足はパッタリ止まり、銀行にも見放されます。
「夜逃げをするか、自殺するか・・・」
そこまで追い詰められたそうです。
うつ状態に陥り、「どうやって楽に死ねるか」
寝ても覚めても考えていたそうです・・・。
(これは本当に衝撃の事実ですね)
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