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2013年8月14日 (水)

落ちこぼれでも成功できる(ニトリの経営戦記) その3

昭和41年4月、大学を卒業した似鳥社長は、
家業であった土木会社に就職します。
でも土木の仕事は合わなかったようですね。
すぐ家出同然で、札幌の広告会社に住み込みで働きます。
でも初めての営業職でまったく成果が上がらず、半年でクビ。
土木会社に戻ったものの、結局は長続きせずすぐ退職。
この時まだ23歳。
ハッキリ書くと社会人でも「落ちこぼれ」

普通なら定職を探すのでしょうけど、ここでなんと開業を決意します。
昭和42年12月25日、札幌市西区の30坪の土地に
「似鳥家具店」をオープンさせます。

土地は父親名義の土地だったらしいですが、
これが現在の巨大チェーン、ニトリの原型です。
でもどうして彼が家具店を思い立ったかというと、
「周りに唯一なかったのが家具屋だったから」

実に面白いですね。
最初の看板には、「似鳥家具卸センター 北支店」

「卸」と書くことで「安い」イメージを与え、「北支店」と書くことで
いかにも他に本店があるように見せるため・・・。

でもそんな小手先のことはやはり通用せず、売り上げはサッパリ。
商売はそう簡単ではないですからね。
三ヵ月間、朝昼晩とも一袋15円のインスタントラーメンを食べ続け
最後には栄養失調で、脚気にもなったそうです。

早くも「似鳥家具店」倒産の危機。
ここでどうしたかというと、両親の勧めで、
「お見合い」をしたそうです。
こういうこと書くと怒られそうですが、似鳥社長の両親から、
こう真面目に言われたそうです。

「いまの状況で社員を雇うカネもないだろう。お嫁さんがいれば
ただでいっしょに働いてくれる。ご飯も作ってもらえる・・」

お見合い8回目で現在の奥さん、十河百百代さんと出会います。
これもまた怒られそうですが、百百代さんは
「足が太くて働き者に違いない」
と両親が強引に決めたそうです。

商売人であったご両親のおかげで、生涯の伴侶兼ビジネスパートナーを
見つけてくれたのですね。
ご両親の見込み通り、奥さんの抜群の接客力で売上を伸ばします。

一カ月40万円だった売上が、結婚後100万になり、1000万になり
ついには3000万円にもなったそうです。
奥さんの強烈な営業力で、ニトリの原型を作り上げていったのです・・・。

奥さんもまさに「お値段以上!?」

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