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2013年7月17日 (水)

1泊4980円のスーパーホテルがなぜ「顧客満足度」日本一になれたのか? その3

ここでスーパーホテルの山本梁介会長を
ご紹介したいと思います。

現在71歳。昭和17年、船場の繊維問屋の3代目として生まれました。
昭和39年慶応の経済学部卒業。
後継ぎとして期待されていたのは当然でしょうから、
修行として、繊維の専門商社の蝶理に入社します。

昭和39年というと、ちょうどオリンピック景気に日本中が
活況を呈していた時です。繊維業界もよかったはずです。
配属されたのが、当時花形部署であった「女性下着部門」。
ここで時代の最先端を行く下着を企画制作して、
蝶理の大ヒット商品を生み出します。

ヒット商品が出来た理由は、直属の上司の一言。

「やってみろ!面白そうやないか。責任はオレが取る!」

すばらしい一言ですね。昨日ご紹介した「半沢直樹」のドラマとは
真逆のお話です。
昭和40年頃の商社にはそういう豪傑がたくさんいたそうです。
そこで山本会長は「リーダシップ」と
「やってみろ経営?」を学びます。

しかし、仕事が面白くなってきた3年目。
父親が肺がんを患い、急に亡くなってしまいます。

結局25歳で繊維商社の三代目となってしまうのですね。
ここで120人もいた社員との軋轢に悩み苦しみます。

25歳の若さではどうにもならなかったのでしょうね・・・。
経営者として、まずここで第一回目の挫折をしてしまいます・・・。

結局4年ほどで会社から追放され、残された遺産で
不動産事業を始めます。
この時まだ30歳。

時代は昭和47年。札幌オリンピックのジャネット・リンの人気に湧き、
浅間山山荘事件があった年。

その時山本会長は

「これから日本もアメリカのように女性の社会進出が進み、
結婚年齢が上がり、シングル層が増加する。
自立した女性が増え、離婚も増える・・・」

そう考えたのですね。
つまり、シングル用の住居の需要が増えるとにらんだのです。
まさに的確なヨミ。
そこで、今でいう「ワンルームの木造版」建設し
これが大ヒット。

最盛期に230棟、6000室まで拡大していきます。
飛ぶ鳥落とす勢いで会社は急拡大していきますが、
やがてバブル崩壊・・・。

多額の負債に苦しみます・・・。
この山本会長の強烈な「生きざま」にまず感心します・・・。

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