色彩を持たない吉田のぶやすと、彼の巡礼の年
この本を読むと誰でも自分の人生を振り返りますね。
特に高校生であった頃を・・・。(すいません。得意の昔話)
1975年(昭和50年)私は都立竹早高校に入学します。
主人公多崎つくるが、名古屋の共学の公立高校に入学したのと同じです。
当時はつくるが参加したようなボランティア活動などなかったと
思いますね。
それで、迷わずバスケットボール部に入部。
私の年代は「青春とはなんだ」から始まった学園青春ドラマが
かなり流行っていましたから。(かなり古いお話・・・)
「飛び出せ青春」の村野武範のような教師がいて、
「おれは男だ!」のような森田健作のような先輩がいる、
早瀬久美のような女子高生のいる学園にあこがれていました・・・。
「高校に入ったらスポーツをやろう!」そう決めていました。
でもバスケットボール部に入部して、そんな甘い妄想がすぐ
吹き飛びました。
入部した同期は20人くらいいたでしょうか。
来る日も来る日もフットワークと称して走ってばかり。
体罰は当たり前、練習中怒鳴られ、怒られてばかり。
特に高校からバスケを始めた私にとってキツイ日々でした。
当時の竹早高校バスケ部は都大会2回戦がやっとの弱小チーム。
それなのに理不尽なしごきばかり・・・・。
練習終わると、皆「いつ辞めるか」の話ばかり・・・。
地獄のような夏合宿が終わると、同期は男4人女3人。
でもバスケットボールとは5人が1チームなのですね。
これ以上辞めたら試合もできない。
何よりも人数が少ないことで、練習がよけいきつくなり、
もう皆の手前辞められない。
フィリピンに取り残された最後の日本兵のような7人の結束です。
週6日の厳しい練習後、学校の近くのパン屋で
皆でコーラを飲むのが唯一の楽しみ。
その時のとりとめのないバカ話で、友情も芽生えました。
プライベートでも一緒に遊んだり、今だから時効なので
書きますが、お酒も飲んだり・・・。
つくる達のような男女間の友情はそこにあるように思いました。
ただ、つくるのように鈍感なだけだったのかもしれませんが・・・。
3年生になって、この本と同じように進学校であったため
皆退部。試験勉強に突入し、あっという間に卒業。
それぞれの希望の大学に入り、
私の青春の一ページだった「男女七人夏物語」もこれで終了。
そのあと在学中2、3回は会いましたが大学卒業後は
なんとなく離れ離れに・・・。
数年前に30年ぶりに、その7人の仲間と会いました。
皆それぞれが家庭を持ち子供もいて、
仕事でも頑張っているのが妙にうれしかった・・・。
今年は自分の人生の「巡礼の年」にしてみませんか・・・。
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