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2012年6月 8日 (金)

走ることについて語るときに僕のかたること その8

この本のことを熱く語り出したら、止まらなくなりましたね・・・。
いつまでもそうしていたいのですが、そろそろ最後に、
この題名の本当の意味を語って終わりましょうか。


この長々しい題名は、村上さんが敬愛する作家、
レイモンド・カーヴァーの短編小説

「What We Talk About When We Talk About Love」

から借用したそうです。
言い方悪いですが、「中学の英文法の例題に」出てきそうな英文です。
しかもこの題名は、中学生がそのままの直訳みたいで
こなれていないと思いませんか?
村上さんは翻訳本も多数出されているまさにプロの翻訳家です。

「私にとって走ること」とか「僕にとってのランニングとは」

ともう少しかっこよくしなかった理由が、実はあるのです。
走ることそのものを書きたいわけではなかったのですね。

「走ることを軸にして、僕がこれまでき生きてきて感じたこと、
考えたこと、経験したことを語りたかった・・・」

これは、その後の雑誌Numberの特集号に、
村上さんが語っていたことです。
つまり、本当の題名をつけるなら

「走ることについて語るときに僕のかたる人生、そして小説」

ということなのですね。
そういう題名にしなかったのは(当然ですが)
やはり村上さんのシャイな性格からなのでしょう。


つまり村上さんにとって、走ることは人生そのものなのです。

『毎日走ることによって、大作「1Q84」は誕生した』

その雑誌でこう語っていましたから。

ではこの本を読んだランナーなら誰でも感動するお話。


村上さんの今考えている「墓碑銘」です。
「死ぬまで18歳」の偉大なランナー、
そして未来のノーベル賞作家は
こうしてほしいそうです。



「 村上春樹
 作家(そしてランナー)
 1949-20・・
 少なくとも最後まで歩かなかった」


(村上さんありがとう! がんばれランナーシリーズ おしまい)

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