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2012年5月31日 (木)

走ることについて語るときに僕のかたること その2

村上氏が走り出したのは、33歳の時、1982年秋から。
小説家としてスタートしてすぐの頃からだそうです。
早いですね。

小説家になる前までは、千駄ヶ谷の駅の近くでジャズクラブを
経営していました。
昨日アップしたように早稲田に7年も在籍されていたようですから
在学中に商売始めたのですね。
結婚後、最初24歳で国分寺駅の南口で始めたところ、
そこそこ繁盛してから都心に移ったそうです。

26歳でようやく早稲田を卒業して小説家を目指しだしたのが、
29歳の時1978年4月。
ヤクルトスワローズの野球を見ていた時に、何故か急に思いついたそうです。

でもやはり才能があったのでしょうね。
直後の30歳で群像新人文学賞を受賞されます。
そこで村上さんは思い切った英断します。
流行っていたジャズクラブを締めて小説に専念するのですね。

ここで奥さんに言った言葉。
「とにかく2年間は僕の自由にさせほしい。
それでだめなら、どこかで小さな店を開けばいいじゃないか。
まだ若いんだし、やりなおしはきくよ。」

そこで「いいよ。」と奥さんは言ってくれたのですね。
まだ店の借金が残っていたのに・・・。
この「いいよ。」の一言で偉大な作家「村上春樹」が誕生したのですね。
一気に名作「羊をめぐる冒険」を書き上げます。

店をやりながらの片手間の仕事だったら、絶対に書けなかったと
この本にも書いています。
この英断に私自身感動しました。

私の熱心なファンならすぐ分かりますね。私も「夢をかなえるゼイ」で
同じことをアップしました。こちら
私が税理士になろうと英断したのが31歳の時。
そこそこ給料はもらっていたし、
その時わずかの借金と二人の子がいました。
奥さんに同じことを言いました。

「2年間だけ我慢してくれ。その間に絶対に税理士になるから。」

といって脱サラしたのですね。
まったく同じです。

でも村上さんと私が違うのは、
村上さんはこの「羊をめぐる冒険」ですぐ野間文芸新人賞を受賞して
小説家として地位を確立したのに比べ、
私はその後合格して独立開業するまで、
なんと6年もかかってしまったところなのですね・・・。


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