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2012年3月29日 (木)

あんぽん 孫正義伝 その6

孫正義氏と野村証券との関係。
これは大事なのでしょう。ソフトバンクの成長を手助けしたのは
確かに野村証券だった感じています。


1983年5月。孫氏が若干25歳の時に、東京丸の内の東京商工会議所で
孫氏の門出を祝うパーティーが行われました。
その発起人は野村証券の田淵節也社長。
出席者は、三和銀行の川勝頭取、日本電気の関本社長、ミサワホームの三澤社長、
イトーヨーカ堂の伊藤社長・・
当時の日本の産業界の名だたる顔ぶれが集まったそうです・・・。
ちょっと今では考えられないパーティーですね。

それくらい当時の野村証券には力があったのですね。
なぜなら、もその前の1970年代には野村証券は多くの有望な企業を発掘し
株式上場をさせてきたからです。
日本警備保障、ミサワホーム、イトーヨーカ堂、ユニー、
セブンイレブン、ロイヤル、すかいらーく、デニーズなどなど・・・。

確かに野村証券の力によって株式公開した優良企業は多いのです。
逆に他の証券には追随をさせない圧倒的な力もあったのです。
当時「公開するなら野村」という金看板もありました。

また野村証券もそういう企業からの信頼も厚く、
多くの優秀な野村OBを送り込んでいました。
(ただし今世間を騒がせているような悪いOBではない・・・)

その中で、1975年に当時野村証券の企業部長だった「大森康彦氏」を
日本警備保障に送り込みます。
野村の企業部長を務めた方ならそうゆう公開企業からは引っ張りだこ
だったと思います。
さらに、その大森氏をソフトバンクの副社長としてまた送り込みます。
これには当時マスコミも大騒ぎしたそうです。
それはそうですね。
日本警備保障=現セコムという一部上場企業それも従業員6000人の
大企業から、わずか従業員60人という無名企業に移ったのですから。

田淵社長の孫氏の力量を見抜いた眼力と
懐の深さを感じますね。
私は1984年に野村証券に入社しましたが、当時の社長はこの
田淵節也さんです。
そのあと社長になった同姓の社長と比較されて、「大田淵」を
称されるお方です。

入社式時くらいしか顔は見れませんでしたが、
本当にオーラのがありました・・・・。
まさに野村証券の「全盛時代」の大社長だったと思います・・・。


そんな順風満帆のスタートだったのでしたが、
ここで「人生最大の挫折」を味わいます。
これはまったく知りませんでした。

なんと慢性肝炎で3年半にも及ぶ長い闘病生活をしいられてしまうのです・・・。
しかも5年以内に肝硬変になる可能性がある重病だったそうです。

当時結婚して子供ができたばかりだったそうです・・・。
まさにこれからというときに・・・。

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