山中湖ロードレース
1月の館山マラソン以来4ヶ月もマラソンを走っていません。
実は29日に、大人気の「山中湖ロードレース」に、こっそりエントリーしていました。
富士山を見ながら、あのリゾート地を爽快に走ってみたかったのですね。
しかも何とか幸運にもエントリーできていたのです。
「こんな台風が来るのに行くの?」
ここ1週間、家族からの冷ややかな目に耐えながら、
しかも決算の激務にも耐えながら毎朝6キロ走って準備していました・・・・。
ご存知ですか。マラソンというのは、「雨天決行」なのですね。
ですから、この台風が来るこんな大荒れの日でもやるのです。
しかし、前日に泣く泣く決断しました。
「参加を取りやめよう・・・」
正直、雨の中ずぶぬれでも走りたいと思うほど、
マラソンが好きではないのですね。
おかげで週末タップリ仕事ができましたが・・・。
でも「行きたかったな・・・」と何となくマラソン情報をネットで見ていたら
偶然大震災で父親を亡くした小学生の「被災児童の日記」を見つけました。
その小学生のお父さんは先日の東京マラソンを完走したそうです。
そのわずか12日後にあの大津波で亡くなられた・・・。
この日記を勝手に転載しては申しわけないと思いましたが、
多くの方に読んでいただきたいので、アップします。
(こちら→)被災児童日記.pdf
被災児童の文を読んだのも初めてでしたが、
小学生らしい本当に素直な文章で、被災の生々しい様子に
読んでいて思わず目頭が熱くなりました・・・。
何度も読み返していたら、山中湖で走られなかったことなんか
どうでもよくなりましたね。
ようやく2週間後に遺体で発見された時、
「顔が水より冷たく・・」というところに涙ですが、
腕時計が動いていたところに本当に心が打たれました。
きっとマラソン用の時計をされていたのですね。
トライアスロンでも使用できる完全防水のものだからでしょう。
気になったので、ネットでこのお父さんの情報を探しましたが、
確かにマラソンはフルマラソンを3時間台で走られる49歳の
トップアスリートでした。
東京マラソンもこの息子さんと一緒に東京に来ていたそうで、
親子マラソンにも参加する子煩悩な良きお父さんだったのでしょう。
自慢のお父さんであったことも、この日記からひしひしと伝わります。
介護施設を経営されていて、被災時一旦は非難できていたものの、
やはりお仕事柄でしょうか、安否確認のため車で戻ってしまい
不幸にも被害に遇われてしまったようです。
この小学生はこの介護施設を継ぐ言っているそうです。
いつか大人になったら、あのマラソンウォッチを身に付けて、
東京マラソンを必ず走ってください。
きっとお父さんも喜んでくれるでしょう・・・。(涙)
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