24年目の夏
8月になると、長崎、広島の原爆の話題と日航機事故のお話。
これは毎年のようにテレビで繰り返されますね。
何年も経ったのに、やはり肉親の死を悼み、今でも涙する方々の映像を
見ていると誰でも皆、家族のことを思い出すのでしょうね。
そうして15日の終戦の日を迎えるのことになるのですが、
当然私の年代では原爆や太平洋戦争は経験はしたことはありません。
でも、あの忌まわしい日航機事故は私にとって
今でも忘れらないものになっています。
当時私は、群馬県の野村證券高崎支店に勤務していました。
以前もアップしましたが、入社2年目でやる気マンマン。
もちろんお盆休み返上で必死で働いていました。
その頃の担当地域はあの事故現場に近い藤岡市。
高崎から「自転車」で30分!くらいの距離でしたでしょうか。
毎日のように高崎と藤岡を結ぶバイパスを自転車で通っていました。
今でも藤岡市内なら地図なしで歩けるくらい
一生懸命外交をしていました。
そんな時にあの事故は起きました。
本当に事故現場は藤岡市より近くなのです。
毎日通っていたくらいですから、お客さんや知り合いが
多くいて、事故のことをいろいろ聞かされていました。
あまり知られていないのですが、藤岡市からも多くの方が
救援やボランティアで借り出されていたのですね。
「真夏の事故現場は腐乱した死体が散乱し・・・。」
「藤岡市の体育館に遺体安置所があり・・・。」
何人もの方からそんなお話を聞いていました。
あの事故の忌まわしさは、ちょっとブログでは書けない位です。
そのあたりの悲惨さは、ドラマや映画化もされたのでご存知の方も
多いのでしょうね。
事故から数ヶ月間、高崎市内もその対応に追われていました。
高崎支店は高崎駅前にあり、駅前のホテルは常に満室で
何週間もタクシーや黒塗りのハイヤーが所狭しと
停まっていました。
あの事故で多くの有名人も亡くなりましたね。
一番ショックだったのが、坂本九さんです。
歌手というより、私自身は子供の頃よく見た
NHKの「新八犬伝」での印象が非常に強いです。
辻村ジュサブローさんの人形劇で見事な語りでした。
本当に大好きな番組で、大好きなタレントさんでした・・・。
あの事故があってからでしょうか。
私はどうしてもいまだに飛行機が好きになれません。
飛行機嫌いというものなのでしょうか。
それでも乗らざるを得ないときもありますが、
やはり無事に着陸すると正直ホッとします・・・。
もう二度とあのようなことが起きませんように。
合掌。
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