かばんの真実 その7
長男信太郎氏は京都大学を卒業して、
東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入社してしまします。
この時点で、三代目信夫氏はまだまだ働き盛りであり、
長男の方が卒業と同時に家業を継ぐということはないでしょうし、
経営者の後継者候補が、一度他人の釜の飯を食うため、
銀行に入ることは昔も今もよくあることです。
二男の方は、生後すぐ亡くなったそうです。
(あとの民法の説明上重要なので、大変恐縮ですが、
あえて説明させていただきました。相続人は3人ということです。)
三男信三郎氏も優秀でした。
地元同志社大学を卒業して朝日新聞に入社してしまいます。
朝日新聞といえば、
昔からマスコミ志望の大学生の人気ナンバーワン企業です。
本人もマスコミ業界で活躍したかったのだろうと思います。
結局四男喜久夫氏が、当初家業の跡目候補として
手伝いをすることになりました。
絵心があったらしく、かばんの半分が喜久夫氏のデザインです。
後に有名になった「一澤帆布製」と書かれたネームタッグも彼の発案でした。
ただ残念ながら身体が弱かったらしく、会社には週に2日程、それも
午後からしか出てこない状態で、とても将来の社長は勤まりそうもありません。
一方で、三代目だけでなく十数人の職人達も高齢化してきて、
このままでは「老舗一澤帆布」の廃業の危機です!
さあ!困りました!!
« かばんの真実 その6 | トップページ | かばんの真実 その8 »
コメント