かばんの真実 その4
三代目一澤信夫氏になり、その弟恒三郎氏とともにさらに
業容を伸ばしました。信夫氏が経営を、恒三郎氏がミシンを担当し、
まさに昔ながらの家内工業そのものなのですが、職人仕事に徹した製品は
品質にこだわる顧客を引きつけ、地道にファンを増やしていったようです。
その一澤帆布の名を世間に知らしめたのはテントでした。
昭和35年京都大学山岳部はヒマラヤ登頂に成功し、
それをサポートしたのは一澤帆布の製品だったのです。
今のアウトドア用品のさきがけといったところでしょうか。
その信夫氏も65歳になったとき、
いよいよ事業承継という難題が持ち上がりました。
ただここで事業承継という観点から、大事な点なのですが、
その時の会社の状態です。
ある方の三代目への追悼文の一節です。
「今とは違って、店はせまく古ぼけた店のガラス戸を開けると、
種々なバック類や作業服が並んでいた。奥からはミシンの音が
聞こえてきた・・・。」
大変失礼な言い方かもしれませんが、それほど繁盛している訳でもなく、
どこにでもある商店街の一角の古い老舗といったところでしょうか。
何となく想像がつくのですが、採算を度外視した職人気質の経営。
それでも老舗という大事なカンバンを守らなければならない・・・。
当時も今もある日本の典型的な承継問題だったのでしょう。
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