2017年6月23日 (金)

野村證券第二事業法人部 その3

金沢支店の横尾氏の新人時代のお話、「武勇伝」は懐かしく
読みました。
本当にものすごいセールスマンだったのですね。
いろいろ書きたいのですが、まさに暴露本なので
遠慮しておきます。


ただ、売買報告書を家まで行って破り捨てた「武勇伝」は
正直ひどいですね。
今でいうなら完全に法令違反(昔もそうでしたでしょうけど・・・)
「上司の命令だっと」書いてありますが、
それは単なる言い訳でしかないでしょう。


これ何となく想像つくのですが、昨日ご紹介した「仕切り商い」で
注文を黙ってやってしまったのだと思います。
これを業界用語で「ダマテン」といいます。
これも今では完全な法令違反。(これも昔は・・・)

黙って売買しても、必ずお客さんには売買報告書が届きますからね。
絶対にバレます。
それを破りに行ったということは、今なら「懲戒処分」ものでしょうね・・・。


やはり、この「仕切り商い」というのは、
今だからこそ言えますが「諸悪の根源」でした。


注文を相場の立っている午後3時までに決めなければ
ならないのですね。
朝9時に1000円で買った株を午後3時に決めなければ
どうなるか分かりますか?
翌朝新聞を読めば「終値」をみれば時価が分かってしまいますからね。
仮に午後3時に900円に暴落していたらどうなるでしょうか?
900円のものを1000円で買ってくれとはお客さんにはいえないですね。
損することが確実な銘柄ですから。


ではどうするかというと、他の銘柄を午後3時までに売却しておいて
(たぶん損切りさせておいて)その銘柄を1000円で
買っておくのですね。
たぶんこれは「黙って」売って、「黙って」買っておくのでしょう。
すぐばれてしまうから、売買報告書を破りに行ったのです・・・。


金沢支店での3年あまりの勤務を終え、
東京本社事業法人部に栄転になります。
これは私の経験からも間違いなく大出世です。
正直あり得ない人事異動です。


温泉旅館の社長さんとの転勤のあいさつの場面では
なぜか妙に感動しました・・・。


「オレの数億無駄にするなよ・・・偉くなれ・・・」

きっと数億円損させたのでしょうね。
一方で彼のコミッションは数億稼いだと思うのです。


ひどいですね。
こんなひどいことをするセールスマンでも
野村證券では優秀であるとされ、トップセールスマンと称され
支店長まで上り詰めたのです・・・。


絶対私にはできなかったので、あのまま残っていても
きっと偉くはなれなかったでしょうね・・・。


2017年6月22日 (木)

野村證券第二事業法人部 その2

横尾氏は入社後に金沢支店に配属されます。
野村證券はきっといまでもそうでしょうけど、
東大や京大卒でも必ず営業は経験させるのですね。
私も最初の赴任地は高崎支店。
懐かしい思いで読みました・・・。


入社後すぐに証券外務員試験を取らされます。
驚いたのは、横尾氏はその試験合格後すぐに
株式購入キャンペーンをやらされたこと。
私の場合は、入社してとにかく「名刺集め」。
3か月くらいはやらされたでしょうか。
入社してすぐの新人に株を売らせるのはなかなかできないこと
ですね。
当時1株600円の味の素の株を1か月で5万株売るキャンペーンで
横尾氏だけがこれをクリアしたそうです。
なかかなか優秀な営業マンだったのですね。

新人で入社したのですから、顧客は当然ゼロ。
そこからわずか一カ月で新規開拓して、5万株売りきったのは
すごいとしか言いようがないですね。

ちょうど今頃の6月になると、よく職場に新人研修を
終えたばかりの営業マンが飛び込み外交に来ますね。
そういう人を信じてお金を預けようとするでしょうか。

「新人離れした」営業力としか言いようがありません・・・。

でも驚愕の事実も書いてありました。
53年の同期入社は167名。
そのうち69名は1年以内に辞めているそうです。


その原因は、「ファミリーファンド」と「ロクイチ国債」。
私は聞いたことがある程度の商品ですが、
「儲からない投資信託」と「暴落した国債」
こんな商品を当時証券マンは売らされていたのですね・・・。


さらに懐かしい単語が出ていました。

「一日商い」と「仕切り商い」


この単語に郷愁を感じるのは、きっと私のような古い証券マン
なのでしょうね。
今は多分業法がより厳しくなったので「禁じ手」になっていると思います・・・。


「一日商い」とは「ついたちあきない」と読みます。

株式は通常四日後に決済されますね。
例えば4月1日に決済されるのは、3月29日となります。
よって、3月29日は「4月の一日商い」と言われ
野村マンにとっては、まさにキャンペーンの日。
ただ単にキャンペーンなどという生易しいものではなく、
その日に4月分のコミッションのノルマを達成しなければいけない

「月に一度の決戦の日」


支店も大騒ぎですが、会社全体としてこの日のために、
銘柄も指定し、玉(ぎょく、つまり証券用語で株式のこと)を確保します・・・。


でも正直書くと、この日が嫌で嫌で仕方がなかった・・・。
横尾氏のようにできる営業マンなら、活躍できるのですが
私のような成績の芳しくない営業マンは、一日営業課長に
怒鳴られまくられ・・・。

「どんなことしてでもコミッションを稼げ!」

苦い思い出しかありません・・・。

もう一つの

「仕切り商い」

これは今では完全に業法違反です。
30年前には当たり前のようにありました。


例えば、A銘柄を寄り付き1000円で50万株、
野村證券のポジションで買ってしまうのですね。
相場がいい時なら、一日で1000円が1050円に上がることは
よくあります。
上がってから、儲かるのは間違いないからお客さんに強気で進め
すぐ1050円で売ることができるのですね。
まさに「思惑買い」。


ただ当然相場が良ければいいけど、1000円が950円になることも
あります。
時価が950円のものを1000円でお客さんに買ってもらわなければ
ならないのですね。


ただ当時はパソコンのない時代。
株価は翌朝の新聞を読まない限り分からないのです・・・。


でも、下がった株を売ること、お客さんをだましているようで
これもつらかった・・・・。

2017年6月21日 (水)

野村證券第二事業法人部 その1

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前々から話題になっていた本。
「オリンパス事件の犯人が書いた暴露本」
ではないかと思っていて実は敬遠していました。


「野村證券で一番稼いだ男」
とか「バブル時代の回顧録」
とかいろいろ言われていますね。


私も一応野村OBだから一応読んでおこというつもりで
買ってみました。
正直なかなか面白かったですね。


ただオリンパス事件については、つい読み飛ばしてしまいました。
今更事件の概要を知っても仕方ないですしね。
何が面白かったかというとやはりバブル時代の証券営業。
懐かしいのと、よく知っている人も登場して一気に読んでしまいました。


私が野村證券にいたのは1992年(平成4年)までですから
今から25年以上前のこと。
ですので30年以上前のことをよくもまあこれだけ
克明に覚えているものですね・・・。


筆者は横尾宣政氏。
京都大学経済学部を卒業し1978年(昭和53年)に
野村證券に入社します。
私は1984年(昭和59年)入社ですから6年先輩ですね。

野村證券は入社した年次で、「53年」とか「59年」と呼ばれます。
ですからその年次というのは、会社にいる限りついて回りますから
何年入社というのは大事なのですね。

ただ私が現役の頃、横尾氏のことはまったく知りませんでした。
本社の主要部門にいた方なので、私自身がそんな部門にいなかったから
知らなかっただけということなのでしょう。
この本を読む限り、この横尾氏を知らない人は社内には
きっといなかったでしょうね。
それだけ有名人だったはずです。


営業のトップを走り続け、最後は新宿野村ビル支店長を
最後に退職しています。

そのままいたら間違いなく、役員にはなっていた方なのでしょう。


ただ残念ながら、オリンパス事件で巨額粉飾の指南役として
逮捕起訴され、一審、二審とも有罪判決を受けています・・・。

この本を読むと、

「証券会社はやはり・・・だったのか・・・」

本当にそう思うでしょうね。
当時の証券会社の内情がよく分かります。

先日ご紹介した金融庁の本「捨てられる銀行2」で

フィデューシャリー・デューティー(真の顧客本位の業務運営)

を何度も解説したつもりですが、20年も前の証券会社は
そんなことは微塵も考えていなかったこともよく分かります・・・・。

2017年6月20日 (火)

死後離婚 その5

書きたいことはたくさんあるのですが、
そろそろまとめましょう。


いろいろ疑問に思うことあるのですが、
残念ながらこの本は肝心の「死語離婚」のことの記述が
やはり少ないのです。
これは法律家の詳細な解説を待ちたいと思います。
よって、これ以上安易にこのフレーズを使うのは
よろしくないかとも思います・・・。


悩んでいることを最後に物語調に書きます。
(もちろんフィクションです)


埼玉県春日部市に、
大地主の春日部晋三と妻の昭恵との間に
二人の男子、春日部一郎、二郎がいた。

長男春日部一郎は庄和花子と結婚し、太郎が生まれた・・・。


こんなケースですね。


一郎夫婦は晋三夫婦と同居したものの、
永年昭惠と花子と間は、つまり、いわゆる嫁姑の関係は
あまり良くなかった・・・。

これもよくあるケースですね。

春日部一郎が急死したことにより、
妻花子はそのまま同居し続けることと、
親族関係を続けていくことは無理と判断し、
「姻族関係終了届」と「複氏届」を提出し、
旧姓である庄和花子に戻った。

さらに子供である春日部太郎も
「子の氏の変更許可申請書」を裁判所に提出し
庄和太郎に変更し、庄和花子の戸籍に入籍した・・。


解説した通りなのですが
ただこの段階で、いろいろ騒動が起きるはずですね。
夫が亡くなったとたんに家を出て元の姓に戻したのですから

「人でなし!」
「鬼嫁!」

くらい花子さんは言われるかもしれません。

花子さんは、それ以降多分、春日部家とは没交渉、
音信不通になるはずです。

その後春日部晋三氏や昭惠夫人の面倒を次男である
春日部二郎氏がすることになります。
介護の面倒までおそらく二郎さんがやるのも間違いありません。


ここで、資産家の春日部晋三が死去した場合ですね・・・。

巨額の財産の相続、つまり、その相続権はどうなるのでしょうか?
長男一郎さんは亡くなっているので、庄和太郎さんが
代襲相続人となります。
春日部晋三さんと庄和太郎さんは血がつながっている以上
相続権は発生するのですね。


法定相続分は、昭惠夫人が生きていいれば4分の1.
もし亡くなっていれば2分の1となります。


仮に遺言書があってもこれは揉めるのは確実でしょうね。
太郎さんにも遺留分がありますから。

二郎さんとしても

「春日部家を出て行ったくせに何だ!」

ときっと怒り出すでしょう。
ではどうしたらよいのか・・・。


なかなか難しい問題です。
ドラマにでもなりそうなネタですね・・・。
研究してそのうち発表します。

(気をつけよう!「死後離婚」シリーズ おしまい)

2017年6月19日 (月)

荻窪→拝島ラン30キロ

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走友会のファンランに参加してきました。
今回は荻窪駅をスタート地点として、拝島駅まで約30キロです。

梅雨時でしたから雨も心配しましたが、曇り予報。
この時期暑くなることも多いですから、
雨が降らないならベストコンディションですね。

早朝8時に荻窪駅集合。
いつもの「ピンク・シマシマルック」
このカッコした男女が揃って走るのですからなかなか壮観です。

荻窪駅から南下して環八へ。
高井戸駅から神田川に入ります。
ここから井之頭公園までのいつものルート。

写真は井之頭公園。
休日ともあってかなり混んでいました。
でものんびりとして良いところです。
吉祥寺に住んでいる方々を堪らなくうらやましく思えます。

三鷹駅を抜けていつものランニングコース。
途中小金井公園で休憩。
ここも広々とした良い公園ですね。
売店でアイスを買って元気復活。


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玉川上水にでました。
なかなか武蔵野の自然そのもの。


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楽しいジョギングコースです。

約30キロ。目的地である拝島駅にある中華料理店へ。
ラン仲間と味わう美味しい餃子と共に至福のビール。
楽しい週末でした。

2017年6月16日 (金)

死後離婚 その4

「複氏届」なんていうものがあるのですね。
これは勉強になりました。

これにより、姻族と縁を切り、もとの姓に戻ることができるのですね。
ただここで問題になるのは、ご夫婦にお子さんがいた場合なのです。
仮にお母さんだけもとの姓に戻ったとしても、
お子さんも自動的に姓が変わる訳でないのです。
ここは少し面倒です。
制度を理解していただくために、さらに大事な書類もアップします。


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「子の氏の変更許可申立書」
です。
子どもが、15歳以上の場合は、子供自ら「自分の姓を変えること」を
裁判所に申し立てることができのですね。
具体的に言うと、子供である乙野太郎さんは、母親の旧姓の「甲野」に
戻す場合ですね。
この場合の申し立ての理由はどう書いたらよいのでしょうか?
「母の離婚」ではないでしょうし、「母の死後離婚」でもないですね。
「母の複氏届提出による」・・・・?
分かりませんのでこれは裁判所にお尋ねください・・・。
因みに15歳未満なら、当然ですが、親権者である親が代理申請する
ことになるのです。

この申し立てにより裁判所の許可が下りたら、
今度は役所へ子供の「入籍届」を出すことにより、
子どもはようやく母親の旧姓を名乗り、母親の戸籍に入ることが
できる訳です・・・。

なかなかややこしいですが、こういうことが現実に
行われているようです・・・。

さて、書きたいことはたくさんありますが、
この書籍を取り上げた理由は、相続問題からでしたね。

春日部花子さんのように元の姓である庄和花子さんに戻ったケースで
もう一度考えてみましょう。
春日部太郎、花子さんの間に、長男春日部一郎さんがいたとします。
上記のような手続きをへて、春日部一郎さんは、庄和一郎さんに
なっていたとしますね。

つまり、ご紹介した数々の「魔法の書類」で、花子さんは
春日部一族と完全に縁を切っていた場合です。


ここで亡くなったご主人太郎さんの父親「春日部晋三さん」(仮名)が
存命だったとしますね。
花子さんは、一切関係性を断っていますから、
もちろん、介護どころか、盆暮れの挨拶もその後ずっとしていません。

ではここで春日部晋三さんが亡くなった場合は
どうなるのでしょうか・・・。
仮に春日部晋三さんは、春日部市の大地主で多額の遺産が残されて
いたとしたら・・・。

亡くなった春日部太郎さんは実の子ですから
相続権がありました。
でもその太郎さんが亡くなった場合の相続権はどうなるのでしょうか?

これは民法の問題。
「代襲相続人」となった庄和一郎さんに引き継がれるのです。
しかし、何だか腑に落ちません。
ここが一番驚いたところ・・・。

「ホントかよ・・・・!??」


2017年6月15日 (木)

死後離婚 その3

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「魔法の書類」を探してみました。
埼玉県春日部市のHPに見つけました。
親切に書き方までアップされています。
春日部には多いのでしょうか・・・・!?

春日部一郎さんと花子さんのご夫婦で一郎さんに先立たれた
花子さんは姻族関係を終了させるためにこの「魔法の書類」を
春日部市役所に提出した訳ですね。

これ見ると実に簡単です。
署名して印を押せばよいのですね。
実印でもなくて良く、もちろん、印鑑証明書の添付もいりませんね。

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この届出はここ数年で増えてきているんだそうです。
2015年で2,783件。
最近テレビなどでも取り上げられていますから、
きっと増えていくのでしょう。

さらに春日部市にはもう一つすごい届出書もアップされていました。

Fukuuji


これです。
「複氏(ふくうじ)届」


春日部花子さんは旧姓「庄和」さんだったのでしょう。
この紙をさらに提出することで、花子さんは旧姓の庄和に戻ることが
できるのです・・・。

これは驚きですね。
こんな方法があるのです・・・。


少し横道にそれますが、毎年参加している春日部大凧マラソン。
会場は庄和総合公園。
実は、昔そこに庄和町という町があり、それが春日部市と合併して
2005年に消滅したのです。

なかなかローカルな例ですね・・・。


2017年6月14日 (水)

死後離婚 その2

すいません。趣味のお話でつい熱くなってしまいました・・・。
大事なお話をしていたのですね。


このタイトルのとおり、「死んだ後に離婚」はできません。


ただこれが問題になるのは、具体的に言うと

「嫁姑問題」
「義理の実家問題」

ということなのですね。
これを法律用語でいうと「姻族(いんぞく)関係」と呼ばれる
関係の方々の問題なのです。


よく問題になるのは、両親を面倒見ながら同居していて
ご主人に先立たれた奥さんの場合が多いそうです。
つまり、義理の親の「介護義務」と「扶養義務」ということなのですね。


ここで背景となるのは、親の介護問題。
熟年離婚の原因の一つに、親の介護問題が多いことからも分かりますね。
ここで身につまされる方々もこれは多いのではないでしょうか。


仮に離婚まで至らなかったとしても、仮に夫に先立たれた妻の立場には
義理の親の介護義務があるのかという大問題でしょう。


まず義理の親でも法律的には親族ですね。
これは民法725条で
「六親等以内の血族、三親等以内の姻族」は親族と
バッチリ決められていますし、


さらに、民法730条で

「直系血族及び同居の親族は、互い扶け合わなければならない。」

とも決められています。


でもここで本論です。

「義理の親の介護?そんなのイヤだ!」

といった場合にその関係性を無くすことはできるのでしょうか?


実はそれができるのですね。
これは正直初めて知りました。


その方法は

「姻族関係終了届」

と呼ばれるものです。


A4サイズのたった一枚の書類を出すだけで姻族関係を
即時に終了させることができます。
しかも、三文判のハンコを押すだけです。
提出できるのは残された夫か嫁だけです。


驚きなのは、元姻族には通知さえもいかないという「魔法の書類」
これはビックリ・ポン!ですね。


この「魔法の書類」一枚で
姻族関係は終了し、当然親族でもなくなるので、
扶養義務や介護義務も負うことはなくなります・・・・。

2017年6月13日 (火)

吐血の局

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もう一つ囲碁ネタ。
こんな話題を振る税理士は絶対いないでしょう。
囲碁ファンにとっても「超コアな」ネタ。

先月百田尚樹さんの「幻庵」を読んで一番感動したところは
この「吐血の局」だったのですね。
「幻庵」を読んでまた、これも「amazon速攻買い」したのが「丈和」
この吐血の局が真っ先にでている本です。

名前の通り、この一番を打って負けた棋士は
吐血したという文字通り「命がけの一局」
実は幻庵が打ったのではないですね。
幻庵の弟子である「赤星因徹」(あかぼしいんてつ)。
相手丈和は当時の最高位であった名人碁所の「本因坊丈和」。
本当なら幻庵が打つべきところだったのですが、
敢えて格下の弟子をぶつけて勝てば、丈和を引退させ、
自分が名人囲碁所に就任するための地位争いの戦いだったのですね。

地位をかけて争う碁をまさに文字通り、
争碁(そうご)と呼ばれました。

娯楽の少ない江戸時代のこと。
たぶんこの対局は日本全国から注目されたのでしょうね。
今では比較にならない大事件だったはずですね。

大鵬柏戸の優勝決定戦。
巨人長嶋と阪神村山の天覧試合。
巨人中日の10.08決戦。
たぶんこの三つ足して三倍したくらい日本中から注目され
日本国民全体が熱狂したでしょう・・・!?

よく「命がけの戦い」という言葉が使われますが、
これ以上「命がけ」の勝負はなかったのではないでしょうか。


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丈和が放った246手を見て、赤星因徹は吐血して倒れます。
そのまま負けになったのですが、その2か月後に
本当に赤星因徹は死んでしまったのです。
実は、赤星因徹は、結核を患っていたのです。当時の結核は不治の病。
本当に死ぬつもりで戦ったのでしょう・・・。
これだけ囲碁ファンを熱くする一局は他にはないでしょう。


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序盤で赤星因徹が打った33手目、「井門の秘手」(せいもんのひしゅ)と
呼ばれるもの。
私のレベルではどうしてこれが秘手だか分かりません・・・。


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この秘手により赤星因徹が優位に進めますが、名人丈和が
放った68手目、70手目の妙手。
これにより赤星因徹が打った67手目を手抜きすることができ
72手目の打ち込みで逆転したらしい・・・。

このレベルは高すぎて私にはやはり分かりません・・・。
さらにその次に放った丈和の3手の妙手は「三妙手」(さんみょうしゅ)
と呼ばれるそうです・・・。


なかなか奥が深い一局です・・・。
でもこんな対局が遠い昔に打たれていたのですね。
囲碁の素晴らしさを教えてくれる名局でしょう・・・。

2017年6月12日 (月)

熱海へGO(碁)!

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また囲碁ネタ。
年に一回の熱海囲碁旅行。
本当に楽しみにしております。

税理士会の囲碁の旅行なのですが、いつも大先輩ばかり。
90歳の大先生も参加されます。
私が最年少なのですが、ここ何年もずっと最年少のまま。

囲碁は年齢は関係ないので、そこは楽しいです。
終わった後温泉に入って、その後の懇親会がまた楽しい。

やはり趣味を通じてできた友人は得難いですね。
大先輩の薫陶を受けることもまた多いです。

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しかし年々思うのですが、いま熱海の景気は良いです。
毎年来ているので定点観測しているからでしょう。
数年前からリゾートマンションが立ち並ぶようになりました。
写真でお分かりですね。
熱海の駅前に乱立しています。
お昼時など、レストランに行列ができます。
これは数年間には考えられなかったことでした。
シャッター通りが多かったのですが、
今年ビックリしたのは「洒落たイタリアン」など開店し
行列ができていました。

一頃、「一泊6800円!」という安売りホテルが乱立していましたが
またそれも一段落したような。
また昨年は中国からの団体客が多かったようでしたが
今年は韓国からの団体客も来ていました。

地元の人も言っていましたが、今までは、
年に一回だけ(社内旅行や研修など)来る人が多かった熱海が、
年に数回訪れる人々が増えているそうです。
それはそれでよいことなのでしょう。

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寛一お宮も何だか忙しそうでした・・・。

ところで囲碁の方は2勝2敗でサッパリ。
まあ大先輩に花を持たせることもたまには必要なのでしょう・・・(かなり言い訳)


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