2024年7月17日 (水)

ユニクロ その7

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上場後に、フリースブームを追い風に

快進撃を続けるのですが、

まず有名な役員が登場しますね。

 

伊藤忠出身の澤田貴司氏。

上智大学在学中はアメリカンフットボール部のキャプテン。

 

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もう一人は

旭硝子出身の玉塚元一氏。

慶應大学在学中はラグビー部でフランカーとして

大学選手権準優勝したこれもスポーツマン。

 

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二人のタッグでユニクロを急成長させた下りは

面白かったですね。

 

澤田氏が古巣の伊藤忠の時の室伏社長に

「今こそ伊藤忠も流通業に参入すべきだ!」

と直訴したくだりが面白い。

 

その後ユニクロに移り、副社長に。

 

柳井氏は本当に澤田氏に社長の座を譲りたかったのは

きっと本心でしょうね。

 

澤田貴司氏はその後面白いところで、

またファミリーマートの社長に。

 

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一方で、玉塚元一氏も有名ですね。

その後ローソンやロッテリアの会長にもなっていますから。

 

「どうしてこれだけ優秀な方でも

柳井氏は禅譲しなかったのだろう・・・」

 

考えながら読みましたね。

 

 

2024年7月12日 (金)

ユニクロ その6

ユニクロの「100店舗計画」何度も読み返しました。

 

広島銀行の宇部支店長が

 

「あんたたちは俺をだますつもりか!」

と手に持っていたたばこを灰皿に押し当てて火を消して

それをそのまま投げつけた」

 

のですね。

 

3年で売上300億円。

さらに1000億円の長期計画も書いてあったそうです。

 

郊外のロードサイト。

敷地面積は500坪。そのうち売り場面積は150坪。

年間売上高想定3億円。

 

「売上高をまず120と想定する。

実際にはシーズンの変わり目ごとに値引き販売。

値引き分を20として売上を100に。

売上原価を60にできるとして

粗利益は40。

そこから販管費30を差し引けば10残る」

 

売上3億円を100とすると3000万円が

残ることになります。

 

その事業計画だけで8億円を融資可能かどうかは

今回広島銀行が取材に応じなかったそうなので

真意は分かりません。

 

柳井氏はこの時42歳。

血気盛んだったのでしょう。

妙になまめかしい記述なので

本当のことだと思います。

 

 

実際に3年後のユニクロは

店舗数90店舗。

売上高250億円、1店舗あたり2.8億円。

営業利益は22億円。

売上高の8.8%。

 

ほぼピッタリですね。

 

「計画通りに行ってはずなのに

なぜカネを貸さないのか?」

 

柳井氏は怒り心頭なのですね。

実際に1994年7月に広島証券市場に上場に

成功したのですが確かに危険な賭けだったのでしょう。

 

「年間30店舗もの出店を続けると

当然ながら出店資金が必要になる」

 

からですね。

しかしその賭けに勝ったのです・・・。

でも経営は博打ではないと私は思います・・・。

2024年7月 9日 (火)

ユニクロ その5

この本でたぶん金融機関の方が読んだら最も

興味深い箇所。

ユニクロ第一号店が1984年にできていてから

7年後、7年間で23店舗に拡大していた時。

 

柳井氏が

「3年間で100店舗」を掲げ

上場をテコに日本一そして世界一を

目指した時ですね。

メインバンクの広島銀行に8億円の融資を

求めたのに断られたのですね。

 

ちょうど1991年。バブル景気を終え、

世の中全体が傾きかけてきた時ですね。

 

私も不動産バブルを謳歌して、

不動産担保融資を実践していた時ですから

よく覚えています。

あの時は完全なる「担保主義」。

「キャッシュフロー重視」に方向転換したのは

ずっと先でしょう。

 

「3年間で100店舗にしますからお金貸してください」

 

でたぶん簡単には借りられないはずです。

しかもまだユニクロ自体もまだ単なる

「安売りの衣料チェーン」

だたったはず。

結果的に当時の広島銀行の柳田支店長が移動する

1993年6月まで続いたそうです。

 

結論的には支店をすっ飛ばして本店と掛け合った

柳井氏の美談(武勇伝?)として、

いろいろな書物にも書かれている箇所です。

でも銀行の体質をよく理解しているつもりですが、

支店のメンツ丸つぶれの「禁じ手」ですからね。

 

うまく行ったからよかったものの、

ユニクロそのものがつぶれていてもおかしくなかった

ところでしょう。

 

巻末に柳井氏の当時のことについて語っています。

 

「あの時、僕には銀行から融資を受けるという

選択肢がなかったが、今のようにベンチャーキャピタル

が存在していたらどうだったのだろう」

 

「おそらく株を差し出すのと引き換えに資金を

えていたろう。だがそれは経営権の一部を

売り渡すことと同義だ。

それで果たしてあの時に描いた未来図を

多い求めることができただろうか・・・」

 

でも融資がおりなかったら、ユニクロそのものも

今もなかったかもしれません。

 

広島銀行に提出した当時の財務諸表と

融資申込書を見てみたいですね。

 

「あなたが支店長だったら

1993年当時のユニクロに融資したか?」

 

すべての銀行とベンチャーキャピタルの

「生きた教科書」になるのでしょう・・・。

 

2024年7月 8日 (月)

税理士の料理番 その106

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「腸活シリーズ」、今度は味噌ですね。

発酵食品といえばコレですからね。

腸活には非常に良い食材です。

 

「あじの冷や汁」

 

これは宮崎県の郷土料理なのだそうです。

こんな猛暑の今こそいいですね。

 

まずキモの「味噌つくり」

みそとねりごま、すりごまをよく練ります。

これにみりん、酒、ごま油。

これをグリルで焼きます。

ちょっと手間ですがこれが美味しさの素。

 

3枚におろしたあじを焼きましたが、

「3枚おろし」は得意ですからね。

今こそ旬のあじで作りたいですね。

あとは濃い目のだしをとり、焼いたみそをときます。

麦ごはんにかけて、トッピング。

きゅうり、みょうが、しそ、木綿豆腐まで。

これにほぐしたあじ。

もう美味しくない訳ないですね。

 

こんな暑い日にはキンキンに冷やしたら絶品でしょう。

 

あともう一品。

「アドカドのかきあげ」

なんと!アボカドをたまねぎと桜エビで

合わせて揚げるのですね。

アボカドのてんぷらは初めてでしたが

これは結構うまいです。

 

本日のメニュー

 

かつおのガーリックステーキ

あじの冷や汁

アドカドのかきあげ

2024年7月 5日 (金)

ユニクロ その4

 「暗黒時代」の中で

この本で一番衝撃的だったのは

25歳の時に父親からの通帳と印鑑を

預けられるのですね。

この「帝王学」がすごいですね。

 

ただこの本は他にはないくらい父親「柳井等」が

どこよりも正確に記述されているのですね。

この「禅譲劇」が美化されるのはいいですが、

どうも違う気がするのですね。

洋服業を任せたというのは聞こえはいいですが、

どうやら父親自身が洋服業に見切りをつけ

土建屋とし大成功したようなのですね。

ただどこの本にも書いていないことですが、

この等の兄「柳井正雄」がどうやら元ヤクザ

だったようです。

 

「正雄は戦中にヤクザ家業に手を染め、

敵対組織とのケンカ沙汰が原因で

投獄されたことがある。」

 

ドキッとする記述ですね。

これ上場公開を取り扱う証券会社の方なら

これすぐ気が付きますよね。

 

「身内に反社会勢力がいると上場審査で

はねられる」

 

のですね。

これは大丈夫だったのでしょうか。

反ユニクロ本にはこのあたり主張している方も

いるらしいですが、勝手なことは書けないので

これくらいでやめておきます。

 

話がそれましたが、父親の柳井等氏はなかなかの

実業家のようでした。

 

この記述も驚きます。

 

「等の定期預金は最終的に6億円になった」

 

すごいですね。

「ええか。失敗するんやったら俺が生きているうちに

せえよ。」

 

カッコイイですね。

1984年にユニクロ第一号店が開店した2か月後に

その等氏が脳溢血で倒れます。

その後は一切経営にはタッチしなかったようです。

 

 

ただユニクロが洋服のベンチャー企業であったことは

認めます。

でも裕福な資産家のお坊ちゃまであったことも

やはり認めざるを得ないでしょう。

2024年7月 4日 (木)

ユニクロ その3

 

この本は柳井氏がもがき続けた

「暗黒時代」

が中小企業には一番参考になりますね。

 

1984年にユニクロ第一号店を開店して

一気に成長していくのですが、

なかなかユニクロ並みに成長できる企業は

少ないというかまずないですからね。

 

多くの中小企業は開業して10年は

まさに「暗黒時代」だからです。

キビシイいい方しますが、その10年すら

持ちこたえられなかったりします。

26年税理士やっていていろいろな

起業開業をみてきましたから・・・。

 

柳井氏がこの暗黒時代をどうやって抜け出したかは

前の本にも書いてあったことですね。

柳井氏は類まれな読書家だったのですね。

松下幸之助とドラッガーに心酔して、すべての書物を

読んでいたと知っていました。

 

「本を通じて偉人立ちとの対話」

から多くのこと学ぶのですね。

 

その「対話」のやり方も書いてありました。

 

「ただ単に偉人伝を読むのではない。

柳井流の読書法は

『もし自分だったらどうするか?』

と考え、筆者と対話する」

これだけでも非常に参考になりませんか?

 

ここにはそれ以外の名著、名言が散りばめれてて

いました。

 

その一つ

 

「Be daring, Be first, Be different」

(勇敢に、誰よりも先に、人と違ったことを)

 

柳井氏の実家は洋服屋ですよね。

福山市の青山商事

長野市のアオキ

岡山のはるやま

 

当時一着10万円もする背広を

「一着29,800円!!」

と一気に郊外型店舗で急拡大していました。

 

当然知っていながら、それは目指さなかった。

 

「同じことをしていてはダメだ」

 

「Be daring, Be first, Be different」

(勇敢に、誰よりも先に、人と違ったことを)

2024年7月 3日 (水)

ユニクロ その2

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(柳井氏が継いだ宇部市の小郡商事)

 

 

入学式で祝辞を述べるほど世界的企業のオーナーに

なった柳井氏ですが、とても早稲田時代に真面目に

勉強したようにも思えないのですね。

希望した商社はことごとく不合格。

卒業後そのままプータロー生活。

コネで入ったジャスコにもわずか9ヶ月で退職。

またお気楽なニート生活。

でもこの本で知ったのですが、今の奥様と

大恋愛をしていたのですね。

大学2年生のときに行った海外旅行の際に

スペインに留学中に今の奥様と知り合ったのですね。

ここはまったく知りませんでした。

しかもこの世界一周旅行代金200万円!も親が

出していたもの。

当時の200万円ですからね。

今の1000万くらいでしょうか・・・。

まあ本当に地方のボンボンだったのですね。

しかしそんな経緯があったとは・・・。

でも、まともに生業にもついていないのに結婚を決意。

当時はとんでもないお気楽なかただったのですね。

それで仕方ないので実家に帰ったのが本当のようです。

 

山口県宇部市からユニクロが生まれたのは有名なお話。

街の中心地にある宇部中央銀天街という古びた商店街。

店の2階に住居があるような典型的な家族経営の

地方の一商店。

それが世界的な企業へと飛躍していったのですね。

「地方都市から世界企業へ」

美辞麗句を散りばめられていた「柳井神話の事実」

だったのですね。

何だか今までの「ヨイショ本」にはない記述なので

好感が持て面白かった箇所。

 

店頭に立っていたある時、

「あれ?柳井君?キミ、ここの店番しているのか?

君は東京の大学まで出て、

なんでこんなことをやっているんだ」

高校の教師に見られてこう言われたそうです。

 

宇部高校は地元では超進学校ですからね。

現役で早稲田の政経にはいって卒業して

商店街の店を継ぐ人はいないのでしょう。

 

これはきっと屈辱だったのでしょう。

だから50年以上も経っても覚えているのでしょう。

 

この当時、つまり1970年代の前半。

この宇部という場所と時代背景を理解しないと

いけないのですね。

地元の経済を支えてきた石炭産業は

夕暮れ時を迎えていたのですね。

炭鉱は次々と閉鎖され、石炭から石油への

シフトの最中でしたから。

そこから10年柳井氏はもがき続けるのですね。

「暗黒時代」

とハッキリ記述されています・・・。

こんなことまで記述している本はないですね。

なかなか参考になりますね。

2024年7月 2日 (火)

ユニクロ その1

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何だか閉そく感の日本ですね。

こういうときこそ取り上げたい企業こそ

ユニクロですね。

実はユニクロを取り上げて早15年になりました。こちら

その後13年前も一度書いたこともありますね。こちら

 

それら昔のブログ読み返してその後のユニクロの

ことが知りたくてまたこの本を取りあげました。

 

実は13年間取り上げなかった理由が

あったのです。

いろいろと他の著者の本も読んではいましたが

どうも納得できなかったからなのですね。

「ユニクロ・ウオッチャー」

の一人として申し上げたいのですが、

世にいる「ゴーストライター」としては非常に

書きやすい題材のはずです。

柳井氏の知名度やユニクロの人気から

そこそこ売れるから書きたい人も多いからなのでしょう。

 

でも多くの本は

「柳井氏をヨイショ」

する本ばかりだったのですね。

そういう本に限って出版を認めていたからでしょうね。

忙しい柳井氏が自ら筆を執るはずはないですからね。

ですからあえて取り上げてこなかった訳です。

 

この本の著者は日経新聞の編集委員の杉本貴司氏。

まあ、日経の記者がヨイショ記事は書かないだろうと

思い購入してみました。

 

正解でした。この本は素晴らしいです。

丹念な取材をもとに中立に書いてあります。

どの本よりも人間「柳井正」が分かるような気がします。

 

それは冒頭から分かります。

 

郷里の山口県の進学校宇部高校から早稲田大学政経学部に

現役合格して進みます。

1967年18歳の春。

でも早稲田では「早大闘争」のピーク。

でも学生運動を冷めた目で見ていたノンポリ学生の柳井氏。

早大のキャンパスから遠ざかったようです。

何をやる訳でもなく、思いつくままに本を読み、

ジャズ喫茶やパチンコ店にブラブラ。

悪友と徹夜マージャン。

 

何だか私が40年以上前の早大生であった頃と

まったく一緒ですね。

 

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しかし柳井氏と徹底的に違うのは

それから55年後早稲田大学の入学式に

祝辞を述べているのですね。

早稲田大学のHPに出ています。こちら

 

私は人が生きていくうえで、
最も大切なことは「使命感を持つ」ことだと

思います。
そのためにはまず、「自分は何者なのか」、

そのことを深く考えることが必要です。

 

 

早稲田で「自分は何者なのか」

ひたすら模索していたのでしょう・・・。

2024年7月 1日 (月)

川崎月例

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2カ月ぶりの参加。

雨は降っていないものの蒸し暑い。

主催者側から、熱中症対策として

10キロの部が5キロに短縮。

まあ、仕方ないですか。

夏場はなかなか10キロ走れませんが、

安全に走るためスタッフも考えていただいているのでしょう。

 

5キロ一本目。

最初から6分を切るペース。

1キロラップ。5分52秒。

次も6分07秒。

いい感じでしたが、やはり3キロくらいから

急に暑苦しく感じ出します・・・。

3キロ。6分36秒。

ここで急に足が止まりました。

なかなかキツイ。

折り返してからは喘ぎながら走ります。

あとはほぼキロ7分ペース。

32分50秒。

ほぼ6分半ペース。

 

約10分のインターバル。

川崎月例のいいのはココ。

本当にインターバルトレーニングなのですね。

 

5キロ2本目。

意識的にゆっくり走ります。

7分ペースでいいかくらい。

どんどん抜かれます。

さすがに川崎月例はなめるとダメです。

それなりにレベルは高いのです。

 

でも3キロまで22分超え。

ちょっと遅すぎました。

3キロ過ぎの折り返しで後ろを見ると

誰もいません。

「マズイ!」

 

永年走っていますが、

さすがに「ブービーメーカー」はないのです。

急にペース上げました。

 

4キロ。6分57秒。

5人くらいは抜いたでしょうか。

ラスト1キロさらに上げます。

キロ6分16秒まで上がっていました。

 

ゴール。35分21秒。

暑さでヘロヘロでした・・・。

 

 

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2024年6月28日 (金)

100年企業のものづくり 人づくり その5

冒頭「100周年記念のためのブランディングの本」

と申し上げましたが、表現が良くないですね。

実質社長になって3年あまり、

今まで自由にできなかった改革を

思い切って実行しているのでしょう。

 

よくコンサルタントがいうネタがふんだんに

入っていますから、

「TANOIがこうなってほしい」

「TANAIがこう進んでほしい」

そんなコンサルタントが指導することを

まとめているような気もします。

 

経営者本を取り上げ続けて10年以上。

主だったコンサルタントの本は読んでいますからね。

 

「工場改革は5S活動から始まった」

 

「5S」などはどの経営改革の本にも

出ていますからね。

 

「整理・整頓・清潔」

 

これを基本としたそうですが、

築40年、50年の工場ですからね。

これはせざるを得ないでしょう。

 

「ビフォーアフターシート」

「業務改善は『1秒1円』でお金に換算」

「中小でもデータドリブン経営」

「毎年発行している経営方針書」

 

これもコンサルタントが言いそうなことですね。

「社長と飲みニュケ―ション」

なんて私が大好きなネタ。

これこそ稲盛経営学そのものですからね・・・。

 

特に採用のところは、たいへん申し訳ないですが

いかにも採用専門の広告会社が書いたような記述。

 

「オフイスは残業ゼロ」

「表彰制度の活用」

「有給取得率は71%を達成」

「サンクスカード」

「春のバーベキュー」

 

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一度工場見学してみたいですね。

どんな素晴らしい工場なのでしょうか。

HPにもでていましたが、

どんな方でも見学は可能のようです。

 

しかも田野井社長の講演会付。

これで1万5000円は安いと思いませんか。

 

 

コンサルタントの意見を取り入れながら

必死にこの老舗企業のかじ取りをされる

田野井社長にぜひお目にかかりたいと

思いますね。

 

最後に「ここは絶対コンサルタントは書くはずがない」記述。

 

「新規事業はスナック経営」

 

いいですね。

最後に社長の人柄が出ますね。

どこか「銀座のママ」の雰囲気ですからね(失礼!)

 

どこでやるのでしょうか?

白河市?

せめて春日部あたりでしょうか?

 

こんな中小企業の成長のやり方があるのかと

大変勉強になりました。

ありがとうございました。

 

(ガンバレ! 100年企業シリーズ おしまい)

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